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人生初の女子アイドル現場に行ってきました

はじめまして、田中です。タイトルの通り、人生で初めての女子アイドル現場に行ってきました。
コロナ禍でのコンサートは初参加だったので、その面でも記録としてここに残します。

参加したコンサート→Hello!Project2021 Winter〜STEP BY STEP〜
※名前出すか迷ったんですが出した方が内容書きやすそうだったんで出しました、まずかったら記事ごと消します。

①チケットを用意!
別件で深夜にe+さまよってたら、たまたまその日が一般販売開始日だったらしく勢いで購入。
ハロプロさんはJuice=JuiceとBEYOOOOONDS、ちょい昔のモー娘。を何曲かYouTubeで見て気になってたんですが、メンバーの知識はほぼ無いので買った後でビビるも好奇心が勝ちました。
今もこれOの数間違えて打ってないか怯えています。

②ペンライトを用意!
調べたら公式のかキンブレが無難のようだったので、ドンキでキンブレ買いました。
公式のはどこで買えるのか、そもそもツアーごとに発売される方式なのかもわからなかったので…(情弱)
今回でキンブレデビューとなりましたが、色がたくさんあって使いこなせる気がしません。

③入場・コロナ対策
コロナ対策でグッズ販売も入場も座席ごとに時間を決められてました。
座席は前後左右空けてあり、公演中声出し禁止。
アルコール消毒・検温あり、荷物検査無し。
チケットは見せるだけで半券もぎらず、本人確認なし(これは普段から無いのかも)
ロビー的なところで談笑してる人も0ではありませんでしたが少なかったです。
あと思ってたより女性ファン多かったです、若い女の子から父くらいの年齢の男性までファン層幅広いな〜と。

④公演の感想

楽しい!!!!!!!!

歌上手い!!!!踊ってんのに全然息切れない!!!!すごい!!!!

〜曲〜
高輪ゲートウェイのやつ、一体どんなトンチキソングかと思っていたら意外にも好きな感じのアイドルソングでした。
全くトンチキでは無いかと言えば嘘になりますが…
あとシングルベッド良すぎてあの1曲だけで余裕でチケ代の元取ったなと思いました。

〜衣装〜
所属ユニットごとに衣装の雰囲気が違うから混合になると不思議な感じがしました。
Juice=Juiceの衣装かな、ワンピース可愛かったです。

〜ペンラ〜
YouTube見たとき気になってたかなともさんが赤ということ以外メンバーカラー事情が全くわかっていなかったので、
ペンラはずっと赤にしてました。
この曲は何色!などの決まりも知らなかったので(今回は見た感じなさそうだったけど)、周りに赤がいなくなったら上着で隠しました。不審者ムーブ。
二階席だったのでペンラ持たずに双眼鏡のみの人とかもいた気がします。

〜公演時間〜
1時間半くらい?アンコールなし。まあ声出せないですし…。終演後すぐ終了のアナウンス流れました。

〜退場〜
コロナのためか普段からか分かりませんが(多分後者?)規制退場。
みなさんちゃんと守る。終演後ダッシュで抜け駆けしようとする人、私が見た限りでは1人もいませんでした。
この民度が普段いる界隈にもあれば良いのに…

⑤公演後
かなともさんの他に、2人特に良〜〜〜〜〜〜!となった方がいたので調べたら山崎さんと前田さんという方でした。
2002年生まれってマジ…………?

ここまで書いて気づいたんですが、この記事1枚も写真がない。

⑥まとめ

楽しかった!!!

女子アイドル、というかハロプロさん、良い。
声が出せず客席が静かなのちょっとシュールでしたが、コールが無いので初心者としては足を踏み入れやすかったかなと思います。
チケット買ったとき勢いで2公演とってたので、次も楽しみです。

おしまい!
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アーティゾン美術館に行ってきました。

 どうも、栗城です。展覧会に行くと、チラシをたくさん持って帰るタイプです。ストックをしていてずっと気になっていたのが「Cosmo-Eggs 宇宙の卵」と「鴻池朋子 ちゅうがえり」の二つ。よく見ればどちらも同じ美術館やん!というわけでアーティゾン美術館に行ってきました。聞いたことない美術館だと思ったら旧ブリヂストン美術館のことなんですね。何年か前に閉まったような覚えがありますが、リニューアルされたようです。公式サイトを見るとなんと大学生まで無料!クレー展もあるよと!!会期がもうすぐ終わるということで急遽オンライン授業をサボり、行ってきました。
 観たのは3つ。①「鴻池朋子 ちゅうがえり」、②「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」、③「石橋財団コレクション展 特集コーナー展示|パウル・クレー|印象派の女性画家たち」です。以下感想をば。


都心のビルが美術館

①「鴻池朋子 ちゅうがえり」
(HP:https://www.artizon.museum/exhibition/detail/41
 「トンネルを抜けたらそこは雪国だった」とよく言いますが、感染防止のため厳戒態勢が敷かれている、ビル群を見渡せる東京のド真ん中から、展示会に入るとそこはまさに異世界でした。
 特に異様なのは真ん中に大きな建造物があること。みんなミシミシ登っているので何かと思ったらまさかの滑り台でした。



螺旋状のスロープを上がると、そこには滑り台が!!!

 滑り台は思いの外スピードが速く、ちょっと怖かったです。数年ぶりの滑り台で、この体験は強烈でした。
 展示に決まった順路はなく、好きなように好きなところから見ることができます。上を見上げたりしたに目線が向いたり、くぐってみたり、挙句滑り台をすべってみたり。目線の移動や身体感覚を伴い、まるで公園のようでした。以下気になった展示を数点。



グルグル回って影が面白い

 これを含め循環を連想させるような作品が多かったです。エコシステム〜って感じです。影は大きくなったり小さくなったりして楽しいですね(小並感)。


害獣のカーテン

少し奥に行くと害獣の森に。害獣の毛皮を貰って作品にしたそうです。カーテンのように吊るしてあるので思わず当たってしまいます。周りで「これ触っていいの?」という声が聞こえてハッとしましたが、これは否が応でも毛皮に触れるような設計にしたのではないでしょうか。モフモフしていました。他にも毛皮や革を用いたファンシーな作品が多かったです。



神話っぽい物語が刺繍されています。


語られた話を刺繍にしているそう。

 ここの展示は語って貰った話を紡いでいるブースです。下にはその題となった話が書いてあります。物語の真偽や記憶を記録するのに興味はなく、すぐ消え去る「語り」に注目しているという作者の言葉が印象深い。こういう展示もいいですね。

他の作品としては
・目が特徴的でこちらが見られているような作品
・自然の風景と人間の顔が一体化しているような作品
・彫刻刀のようなもので彫った跡が印象的な作品
が特徴的でした。紙に筆で絵を描くのではなく、動物や人間も作品の素材にしているような感じです。強烈に身体に刻み込まれる、良い展示でした。

②「Cosmo-Eggs 宇宙の卵」
(HP:https://www.artizon.museum/exhibition/detail/42
 この展示は2019年開催のヴェネチア・トリエンナーレに出展した日本館展示を90%に縮小した展示を、本展示に至るまでの過程の展示とともに味わうといったものです。


古代書の如き解説。この木枠の中に縮小版展示がある。



設計図を見た直後にその空間に入るので、テンションが上がる。

 4つの異なる専門分野のアーティストが手を組み、人間同士や人間と非人間の「共存」「共生」をテーマに構成されているそうです。石橋財団との繋がりで帰国展をアーティゾン美術館で開催する運びになったそう。詳しい解説は公式HPを見て下さい。キュレーター含め全員が男性なことにはつっこんでおくべきでしょう。
一番目を引くのはやはりこの大きなオレンジ色のソファでしょう。誰かが座ったりまたは立ったりすると、その圧が全体に波及され、私はなんだか一体感を感じました。自動演奏のさえずりが心地よかったです。

③「石橋財団コレクション展 特集コーナー展示|パウル・クレー|印象派の女性画家たち」
(HP:https://www.artizon.museum/exhibition/detail/43,
https://www.artizon.museum/exhibition/detail/44
 サカナクションを好きなので今回結構な楽しみでありました。「だからクレーの絵を見て」とはサカナクションの「Klee」という楽曲のサビの部分です。私はクレーの作品とは今回が初顔合わせでしたので、バッハの旋律を聴きながらはるばるやって来ました。
 もちろん石橋財団コレクション展なので他の有名画家の作品も多数あり、マネ、モネ、マティス、ルノワールなど知らずに来たらびっくりの巨匠たちが並んでいました。
 マネの自画像の隣には印象派の女性画家たちの作品がズラリと。そして振り向くとクレーの展示ゾーンがあります。「Arrival of the Aerial Dragon」(1927年)という言葉遊びのようなタイトルの作品や、「Tulips in a Pot」(1919年)、「Garden in POT」(1926年)など関連が気になる作品などタイトルから魅力的でした。POTとは。点が印象的な作品が多かったですが、上から見た衛生図のような絵なのかな、とも思ったりしました。
  驚いたのは音声ガイドです。QRコードを読み取ればFree-Wifiと共に無料で使うことができます。すごい。声は細谷佳正さんです。必須ということなので、イヤホンを忘れず持って行くと良いでしょう。

・終わりに


 TOKYOを感じながら展示を楽しめる稀有な美術館です。帰り際には創設者・石橋正二郎さんの胸像に思わずお辞儀をしてしまうほどでした。次回の展示も楽しみにしています。

『ピーター・ドイグ展』に行ってきました。

 どうも、栗城渚右近(くりき なうこん)です。国立近代美術館の『ピーター・ドイグ展』に行ってきました。https://peterdoig-2020.jp なんと今8月いっぱい大学生まで無料で見れちゃうんですよ(8月25日に来館)。そりゃ行くしかない。前に調べたときは完全事前予約制だった気がしますが、今は当日券もあるようです。私は大学生なので学生証フリーパスで入れました。


国立近代美術館 皇居のそばで東京を感じさせます。

中に入ると自動検温、喋りの禁止など、結構な感染対策をしています。多くの人の夏休みが終わった8月の平日に来館しましたがポツポツと人がいました。それでも展示の数より少ない程度の人数でした。
展覧会に入るとあまりの絵のデカさに圧倒されます。イメージだと自分の寝てる布団よりもデカいくらいです。一番気持ちいいのはそんな大きな作品を独り占めしている時間ですよね。世界中の多くの人が知っていて評価している作品と、今この瞬間は自分だけが対面している、本物と触れ合っているのは自分だけ、そんな感覚にたいへん恍惚とします。今回は気に入った作品すべてでそんな体験ができました。なんと僥倖や。ちなみに今回の展覧会は写真撮影OKです。特別展でこれはなかなか珍しいのではないでしょうか。そんなわけで写真付きでいくつか気に入った作品を紹介しようと思います。ちなみに美術知識はほとんどないので解説ではありません。あしからず。


《カヌー=湖》(1997~1998年)

 遠くから見たときに幻想的な緑とその下の真っ黒が妙に気になりました。第1章「森の奥へ」では水に風景が反転している作品、そしてその風景の中にカヌーが佇んでいるものが多かったです。その中でも強烈なパワーを発しているこの作品、よく見ないでも乗っている緑色の人間が死んでいるかそれに近い状態になっているのがわかります。緑も幻想的とはいえ不気味さを感じます。植物もジャングルじみていてこの世のものではない奇異さがありますね(ムンクのインスパイアだそうですが美術に詳しくないので割愛。あくまで個別の作品と展示会全体から感じ取ったことを書きます)。綺麗だけどよく見ると不気味、というよりは綺麗と不気味さが共存している感じでしょうか。ですが作品が大きいので近づくとミクロな視点で見ることとなり、まるで絵巻を見ているかのように奥行きを思わずにはいられなくなります。大きく見ると画面が三分割されていてどこかの国旗のようにも見えますが、右上に家があることで途端に空間が広がります。絵が大きいのでそこにあるようにも感じますが、真っ黒が気になって橋渡しを揺らしてきます。もしかしたら下の真っ黒はフレームのような役割をしているのかも知れませんね。


《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》(2015年)(左)
《影》(2019年)(右)

 左の写真は作品の一部です。どちらもスケスケです。《影》に至っては透けすぎて骨が見えちゃっています。確かに、影を透けさせようとして薄くしてもそれはただの薄い影ですからね。影を透けさせた結果、骨が見えてかえって身体が立体的に現れるというのは興味深いです。そして左上の人工的な建物も気になります。人間と違ってかなり鮮明ですね。上記の《カヌー=湖》は「綺麗と不気味が共存している」とするならば逆方向のベクトルが一度に押し寄せるということなので、この透明な存在は「いるし、いない」とオアでなくアンドでつながる存在なのではないでしょうか(となると「影」とは平面であり立体でもある存在なのかも知れませんね)。そういえばあまり触れませんでしたが初期の作品は水面に影が映っている作品が多いです。これにはそのまんまの反射ではなく姿が変わり別世界のものというような趣を感じました。本物と影どちらがより綺麗か、どちらが「本物」かなどはおそらく詮索するには野暮です。説明にあったように虚実の曖昧さを楽しみましょう。そう考えるとこのスケスケな作品たちはドイグの洗練された進化とも言えるのではないでしょうか。

 作品についてはホームページから3DVRで見れますし展覧会の雰囲気も楽しめますのでぜひやってみてください。私はまだ買った図録を読めていないので新たな発見があったらまた何か書くかもしれません。またMOMATコレクション展も非常に良かったのでそちらにも是非足を運んでみてください。4階から2階まであり、戦前からいまに至るまでの日本の芸術の流れがわかります。椅子も展示のコンセプトに合わせてちょくちょく変わるのが嬉しいです。


・最後に
 ドイグの作品は非常に大きく、特徴的な描き方もあり、また一つの作品のうちでいくつか描き方を変えていたりと、本物を見に行く価値の高い展示でした。写真を撮ることはできますが撮って記録することに夢中になってしまうと大事な眺める経験がおざなりになってしまうかもしれません。私は一度見た後に総括の意味もこめ戻って写真を何枚か撮りました。写真を撮るのがダメだとは思いませんが、保存に躍起になってしまうとやや勿体なさを感じてしまいます。接写は禁止されていますが絵の中で自分の気に入ったところをズームして撮ると、体験ごと記録されますし心に響いたところを思い出す縁になって良いかと思います。全体像なんてどこでも見れますから。
 8月中に見ると大学生は特にお得になりますが、展覧会自体は10月までやっています。これを逃したら日本でドイグの作品を見ることはそうそうないでしょうし、行って後悔はしない展示だと思います。是非。

東京都現代美術館に行ってきました。 『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』『おさなごころを、きみに』ルポ

 はじめまして、栗城渚右近(くりき なうこん)と申します。ずるずるらくだを検索してみると「総合芸術」「総合芸術映像温泉」「温泉芸術」など複数の肩書きが(温泉芸術ってなんだ?)。いったい何サークルなのかは私にもわかりませんが、どうやら芸術が軸にありそうです。そこで美術館・展示会のルポでも書いてそれっぽいとこを見せようかなーと思い至った次第です。
 さて、今回行ったのは東京都現代美術館(通称MOT)https://www.mot-art-museum.jp。チケットは予約制ではなく現地で買います。平日なので特に並ばず入れました、大学生の特権ですね。3展覧会が開催されていますがチケットを買うときにどれを何展示みるのか聞かれます。1展覧会1000円ですが、2展覧会以上見ると平均700円くらいになるのでお得です。MOTコレクションも見られますよ。今回は『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』と『おさなごころを、きみに』の2展覧会に行ってきました。以下ルポです。


東京都現代美術館 デカイ


①『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』
 単純に楽しかったです。エリアソンについては以下リンクをどうぞ。https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/olafur-eliasson/
雑に言うと自然現象をアートにしたり、環境に配慮したアートをつくったりしている人のようです。この展覧会に作品を運ぶときにも飛行機を使わないで二酸化炭素の排出量の低い船や鉄道を用いたそうです。そしてその時の揺れすら作品にしています。すごい。以下特に気になった展示を紹介します。



《太陽の中心への探査》(2017

 空間展示です。光源の光はおそらく1つですが鏡によっていっぱいあるように見えます。この光はソーラーエネルギーで生み出されたそうです。エコですね。そしてこの展示は見方によって色が変わります。見る方の動きで作品の表情が変わるのはこの人の特徴でしょうね。本体も綺麗ですが私は反射している床と壁に釘付けでした。空間自体が万華鏡のようです。誰かが動く限り綺麗でも全部の場面は一瞬で、繰り返すことはありません。展示が動けば目まぐるしく変わって面白いとも思いましたが、見る側の動きに委ねているのでしょう。途中女性二人組が壁に映った自分たちの影の写真を撮っていたのが印象的でした。自分自身の参加が作品の一部だとすると一番の保存方法であり、すごくアートな試みだと感動すら覚えました。マスクしていますし影の活用はアフターコロナの芸術に欠かせないものとなっていく気配がします。


《あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること》(2020)

 おしゃれなタイトルです。床にライトがあり壁の前に立つと複数の影が映ります。思わず走っているポーズをとって連続写真みたいにしたい衝動に駆られます。色の濃さや大きさが場所によって変わって楽しいです。舞台装置としてはライトと壁だけなので、作者は舞台を整えているだけですね。紹介しきれませんが他にも氷河が溶けることや前述の移動の揺れを作品としているのであくまで作者は脇役であることがわかります。自然の一度きりの動きを保存すること、観客に動くことで一度きりの体験をしてもらうこと、それがエリアソンの作品に通じるコンセプトなのだと感じました。



《おそれてる?》(2004)

 英題は《Who is afraid》です。3つの円型ガラス板が回って壁に円を映します。手前の壁には三原色っぽいものが映っていますがなかなかうまく組み合いません。たまに3つの円が綺麗なベン図のようにガッチリ組み合うと、シアン・マゼンダ・イエローがはっきり映り出します。他の作品にあるように影や残像、反射が実の作品で、そのための光や板はただの装置でしかないのが面白いところです。この作品はなぜこのタイトルなのかが考えてもわからなかったので何か考えがある人がいたら教えてください。

 まだまだ紹介したい作品はありますがここらへんで。室内(暗闇)で虹が見えるエリアソン初期の代表作《ビューティー》(1993)や展覧会のタイトルにもなった《ときに川は橋となる》(2020)など見所はまだまだ沢山あります。常に変化する作品、自分が動くことで成立する作品など、ただ眺めるだけでは終わらない展示なので時を忘れて見入ってしまいます。美術館で絵ばかり見ていると眩暈がしてしまう私みたいな人間にとっては最高の展示でした。皆様も一度訪れてはいかが。


②『おさなごころを、きみに』
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/Cherish-your-imagination/
 コンセプトに妙に惹かれます。私も以前ようちえんじに戻ったつもりで絵を描いたので興味関心が一致しています。そして視覚情報ばかりの美術から触覚を思い起こそうとする姿勢が素晴らしいです。あ、これマクルーハンが言っていたやつだ! またARも気になります。ひょっとして人科生の十八番じゃないですか?みんなも見に行こうね。

部誌 やはり幼児退行は難しいことがわかった

 というわけで写真はほとんど撮りませんでした。触覚中心ですから。親子連れが多かったです。子供の頃からこんな展示見られるなんて幸せ者ですね。展示作品というよりかは展示の流れが面白かったです。一周すると生まれ変われる仕様になっています。新たな価値観を発見するという点で美術館とは生まれ変わりの場であるわけですが、この展示では文字通り新たな名前を与えられ、最後には宇宙を超えます。ガイドマップを見てもらえばわかりますが、えげつないスケール感です。HPに書いてありますが、エンデの『はてしない物語』がモチーフなので一度読んでおくことを勧めます。当然私も新たな名前をもらいました。



おわりに
この2展覧会に『もつれるものたち』を加えた3展覧会が9月27日まで開催中です。本来は6月で終了していたはずの展示があと1ヶ月以上見られるのは幸せなことです。感染対策を万全にした上で楽しみましょう。

現代仮名遣いについておもうところ

ブログのサムネ_現代仮名遣いについておもうところ
諸注意
 前もって申し上げるが、筆者は言語学を専攻しているわけでも、その手の文献を読み漁っているわけでもない。ただ日常を過ごす中で湧いた興味関心をほとんどインターネットで解決している人間に過ぎないのである。
 それゆえ、この後書き連ねる予定の文章について、その品質や根拠、出典などについて保証しかねる場面がかなり存在すると思われる。いや、確実に存在する。
 読者の方々は、どうかその点に留意し、大して真剣にならずに読んでいただければ幸いである。

はじめに
 我々が日本語で文章を書くときには、当たり前のように現代仮名遣いと新字体を用いている。日本語がこのようにして書かれるようになったのは第二次大戦後のことであり、いまやすっかり定着したやり方ではあるが、それに対して異を唱える人々もいる。
 本文では、現代の日本語の書き方に関する対立について紹介することを試みるとともに、筆者なりの解決策について述べる。

改革の結実
 第二次大戦の敗戦は、日本人に相当なショックを与えたらしく、連合国からの圧力も手伝って政治体制やら社会や経済の体制やらが大きく変化するきっかけになった。
 変化の波が押し寄せたのは言語の世界も例外ではなく、横書きの方向が変わったり、カタカナよりひらがなが優先されるようになったりといった変化が起きた。
 中でも、新字体、当用漢字の制定や、現代かなづかいが定められたことは最も重要な出来事であったと言えよう。
 戦前の日本語には現代よりも多くの漢字が使われ、字体も現在使われているものより複雑なものであった(中国語の繁体字とほぼ同じである)。そのため、新聞をはじめとした文章には必ずフリガナが振られていた。
 また、当時の仮名遣いは今日「歴史的仮名遣い」と呼ばれるものであり、現実の発音とそれを表す文字が異なる場合があった。
 このような複雑な体系があまり親切なものではないと考えた人々は、それを解決するために漢字の種類を制限することや、ゆくゆくは仮名文字やローマ字といった表音文字に移行することを提案していた。
 そんな中、日本は敗戦を迎え、自信をなくした日本人は、アメリカのような合理的な国家に憧れ、合理的なシステムを求めるようになっていた・・・のかもしれない。
 かくして、国語の大改革が実施され、書体を変えて描きやすいものにした新字体、漢字を覚える負担を減らすべく使える漢字の種類を制限した当用漢字、より現代の話し言葉に忠実な現代仮名遣いが制定され、現代の日本語につながっていくのである。

表音と表意、あるいは伝統の対立

 言語を書き表すにあたり、どのような部分に重きを置くかは各言語によって異なる。
 一方は話す音を忠実に表そうとする考え方であり、もう一方は伝統的な書き方に忠実であろうとする考え方である。これを言い換えれば、言語の今を重視する考え方と、過去とのつながりを重視する考え方であるといえよう。
 音に忠実な書き方を目指すのはわかるとして、伝統的な書き方に忠実であることを目指すとはどういうことか。
例えば、タイ語は古代の綴りに忠実に書かれているそうで、古代の仏典でも理解できるようにするためであるとされる。また、英語も実は伝統を重んじる部類の言語であり、単語の綴りと発音の対応がやたら複雑なのはそのせいである。
日本語の場合、綴り方に相当するのは仮名遣いであるといえ、音に忠実であることを目指すのが現代仮名遣い、伝統に忠実であろうとするのが歴史的仮名遣いであると言える。
 日本語の場合、表音VS伝統という対立に加え、表音VS表意という対立も存在する。
 表音に重きを置く考え方とは、大雑把に言ってしまえば日本語を音に忠実に書き起こすことを重視し、漢字をできるだけ排していくという考え方である。
 一方の表意に重きを置く考え方とは、日本語とは切っても切り離せない関係にある漢字を重視する考え方である。
 これらの派閥は近代において壮絶なレスバトルのようなものを繰り広げており、表音が改革派で、表意・伝統が現状維持を目指す保守派であった。
戦後の一連の改革では、時代の空気によって両派閥の均衡が崩され、表音側の考え方の一部が実現されたと言える。これは表意・伝統側の敗北と言えることであるが、一方で一部については守り抜いたとも言える。
しかし、結果として日本語は後述するような中途半端な状態になってしまった。

仮名遣いの合理性
 現代仮名遣いが目指したのは、発音される通りに書き表すという合理的な書き方であった。
 しかしながら、現代仮名遣いは本当に合理的な書き方であると言えるのだろうか。また、歴史的仮名遣いは本当に不合理なものであったのだろうか。
 現代仮名遣いが抱える問題は、助詞の表記が古いことと、四つ仮名の踏ん切りがついていないことにある。
助詞の「は」「へ」「を」は、発音的には「わ」「え」「お」と同じであるにも関わらず、歴史的仮名遣いの表記に引きずられている。ただし、「を」については「o」以外の発音が現在は存在しないため、許すことはできるかもしれない。問題は「は」と「へ」であるが、実際には「わ」「え」と書くことが許されていたものの、一般に定着しなかったためにそのままにされているということのようだ。
四つ仮名というのは「じ」「ず」「ぢ」「づ」の四文字のことを言い、方言ごとに発音を区別するかどうかが異なる。少なくとも共通語においては「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の発音は同じとなっており、共通語を書き表す際にはそれを反映すべきである。
しかし、実際には語源意識にもとづいた書き方がしばしば見られ、その基準もよくわからない。「仮名遣い」という言葉自体が良い例で、「現代かなづかい」の思想に基づけば「現代かなずかい」と書くべきところを「かなづかい」としているので、一部から格好の攻撃材料にされたとかされないとか。その結果ということなのか、「現代かなづかい」のマイナーアップデートののち、表記は「現代仮名遣い」と改められた。漢字に逃げやがったなこの野郎というわけである。
 一方歴史的仮名遣いはどうかというと、助詞の表記が実際の発音と離れていようが、それは昔の表記に忠実に書いた結果であり、四つ仮名が語源意識のせいで発音と離れていようが、むしろ語源意識こそすべてであるので四つ仮名全体に適用すべきことということになる。
 歴史的仮名遣いは、時代を超えた日本語の正書法として設計されてきたもので、過去1000年ほどにわたり洗練されてきたものなのである。保守派からすれば、新参者でしかも合理性が中途半端な現代仮名遣いが許せないのも当然と言える。
 そんなわけで、現代仮名遣いは改革派からすれば改革が不十分なものであり、保守派からすれば全く必要のない改革であったため、両サイドから非難されている。はずである。

中途半端はやめにすべき?

終戦直後に自信を失った日本人が、何かを変えなければならないと感じていたことと、連合国が日本を改造しようとしていた思惑が重なったという理解でいいのかはわからないが、ともかくその時代には改革が一気に進んでいった。
とはいえ、終戦直後は深刻に捉えられていた問題も、時代が下るにつれ忘れ去られていく。世はまさに改革派の時代という感じであったが、そのうち大衆からすると違和感のあることをやりはじめ(漢字の音読みと訓読みを一つずつにしようとしたことなど)、支持が薄くなっていった。
かといって歴史的仮名遣いに今更回帰するということはなく、現代仮名遣いはもはや当たり前のものとして定着している。
前述したように保守、革新の両方から見て中途半端な位置に落ち着いてしまったのだが、大衆はそれを大して問題視することなく使っているし、今後も当分はそのような状態が続くであろう。
メディアも政府も学術界も使っている以上、その形式を覆すのは非常な困難が伴うことであるし、形式の変更に伴う困難と混乱に見合う恩恵が得られるとも思えないからである。
そんなわけなので、これから解決策じみたものを提案するが、本気でその方式が採用されることを願うものではなく、単に筆者の趣味の問題であるということをあらかじめ申し上げておきたい。
端的にいうと、この際表音に全振りすればいいのではないかと考えている。
中途半端な状態を解決するためには、前に進むか後ろに戻るかが解決策として考えられるが、ここで歴史的仮名遣いと旧字体に回帰しようと言っても、体系がほぼ出来上がっているから面白くないかもしれないし、旧字体を書くのと覚えるのが面倒くさいので、簡素化する方向に逃げようというわけである。
また、それに加えて個人的に表音文字作りの方が好きであるということも、音を重視する体系を推す理由であるが、おそらくそんなことはどうだっていい。
筆者が言うところの「表音に全振りする」ということは、言い換えると四つ仮名はザ行に揃え、助詞の「は、を、へ」は「わ、お、え」とし、長音には長音符を!ということに尽きる。
もっとも、「言う」が「ゆー」になって「言ー」となるのでは具合が悪いので、基本的に表音としながらも、長音が漢字によって分断される場合は母音を書くようにしても良いだろう。
とはいえ、こういうことを言ったところで時代が下ればまた修正が必要になってくるであろうし、結局は書き手がどんな風に書くかというところに尽きるのだろう。

まとめと結論
・近代日本語の改革は、意味を重んじるか音を重んじるかのせめぎあいであった。
・壮絶な論争の結果、中途半端な日本語が誕生し、世論はそれを受け入れた。
・一部の人々はいまだに綱引きを続けているが、世論は関心を失っているであろう。
・個人的には表音に振り切ってみることを提案するが、最終的にどうするか決めるのは書き手の意思に委ねられている。

最後に、内容の正確さが担保できていないにも関わらず、過激な文体で各方面を批判してしまったことをお詫び申し上げたい。

おまけ(例文)
日本国憲法前文の一部を歴史的仮名遣い、現代仮名遣い、表音全振りの仮名遣いで書いてみた。どれがしっくりくるか考えて(感じて)みていただきたい。なお、原文は歴史的仮名遣いと旧字体によって書かれている。

<歴史的仮名遣い&旧字体>

日本國民は、正當に選󠄁擧された國會における代表者を通󠄁じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成󠄁果と、わが國全󠄁土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲󠄁法を確定する。そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使󠄁し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍󠄁の原理であり、この憲󠄁法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲󠄁法、法令及び詔勅を排除する。

<現代仮名遣い>

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

<表音全振りかなずかい>

日本国民わ、正当に選挙された国会における代表者お通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢お確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないよーにすることお決意し、ここに主権が国民に存することお宣言し、この憲法お確定する。そもそも国政わ、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威わ国民に由来し、その権力わ国民の代表者がこれお行使し、その福利わ国民がこれお享受する。これわ人類普遍の原理であり、この憲法わ、かかる原理に基ずくものである。われらわ、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅お排除する。

参考
表音派の考え方を知ったところ
ローマ字 あいうえお https://green.adam.ne.jp/roomazi/

伝統派の考え方を知ったところ
國語問題協議會 http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/
プロフィール

ずるずるらくだ

Author:ずるずるらくだ
総合芸術映像温泉サークルずるずるらくだは早稲田大学所沢キャンパス公認のサークルです。

映像制作を中心に、工芸、絵画、音楽など、幅広く創作活動を楽しもうというコンセプトで活動しています。

年に2回の温泉合宿や、所沢キャンパス祭へ向けて映像制作などゆるく楽しんでます。

zuruzururakuda@gmail.com

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